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「インナービジョンズ」 スティービー・ワンダー

 innnervisions

 何を今さらな '73年を代表する傑作アルバムであるが、ここ最近よく聞いていたので。
 '70年代前半のころのスティービーといえば才能の絶頂期にあって、毎年のように出すアルバムがすべて傑作という一種神がかりのような状態にあったわけだが、なかでもとくに名盤とされるのは '72年「トーキング・ブック」 '73年「インナービジョンズ」 '74年「ファースト・フィナーレ」 '76年「キイ・オブ・ライフ」ということになるだろうか。
 というかロック、R&B関連のガイドブックにはそう書かれているので鵜呑みにしているだけなのだが、しかし実際に聞いてみるとそれも納得だ。そんななかでもさらに一枚あげろといわれると今作に一般的にはなるらしく、その意見にもなるほど同調である。
「トーキング・ブック」は各曲出来はいいのだが、通して聞くと少々地味な印象を受けるし、「ファースト・フィナーレ」はコレという目玉曲が弱い気がする。「キイ・オブ・ライフ」はいかんせんLP2枚組プラスEP1枚という大ボリュームで通して聴くには体力を有するということで、やはり1枚のアルバムとしてきれいにまとまっているのは本作なのだ。
 実際通して聞くとバランスのいいアルバムで全9曲の並びが絶妙である。美しいメロディーをもつミディアムテンポの曲で始まり、3曲目、当時の黒人の置かれた過酷な状況をうったえたメッセージソングの大作で最初の山場をつくり、しっとりとしたバラードのあと、再びシンセベースが印象的なR&Bで盛り上げ、ラテン調の曲であそび、しみじみとしつつも徐々に盛り上がっていく曲で締めるといった一連の流れが聞いていて飽きない。
 私の試聴スタイルは基本、一枚のアルバムを最初から最後までとばすことなく通して聞くといったものなのだが、その際気になってしまうのはやはり、曲順である。
 たとえばどうして同じタイプの曲ばかり連続させるかな? 変化をつけろよ、とか。先行シングルの入れる箇所はここじゃないだろ、とか。ラストにはこれを持ってくるべきだろとか。まるでにわかプロデューサー的視線で聞いてしまう癖があるのだ。
 そうした意味でいえば本作には文句のつけようがなく、やはり名盤といわれるだけのことはあると納得するしかない。
 で今回改めて聞いて思ったのは、特徴的なサウンドのおもしろさ。この頃のスティービーはマルコム・セシルとロバート・マーゴレフというシンセサイザー奏者と組んで音楽製作をおこなっていたのだが、なかでも多用しているモコモコとしたシンセ・ベースが印象的で、独自のグルーブを生み出しておりおもしろい。なんというか実に癖になる音なのだ。
 とこのように何度聞いても新しい発見のある名盤だ。



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「スレイブ・トゥ・ザ・リズム」 グレイス・ジョーンズ

slavetotherhythm

 zttレーベルより1985年に発表されたトレバー・ホーン、プロデュースによるアルバム。
 グレイス・ジョーンズは当時、いわゆるスーパーモデルとよばれた黒人女性モデルで、決して美女とはいえない特異なルックス、長身で大柄な体躯といった、昆虫を思わせるその奇抜な外観を逆に売りにして活躍した人である。007の映画「美しき獲物たち」にも悪役として出ており、そちらのほうが有名かもしれない。
 そんな彼女は歌手としての顔ももっており、これがまたなかなかマニアックな通受けするようなカッチョよいアルバムを作っていた。
 そんななかの一枚として紹介するのが本作で、プロデュースを担当したのが前述した当時zttというレーベルを立ち上げフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドやアート・オブ・ノイズなどのバンドを成功させていたトレーバー・ホーンというわけなのだ。いうまでもなくこの人、才人で、その30年ちかくなる音楽キャリアにおいて、要所要所で裏方としてヒット曲を世にだしている。
「ラジオ・スターの悲劇」「ロンリー・ハート」「リラックス」「恋はメキメキ」「タトゥー」などなど。
 おそらくこうすればヒットするというコツみたいなのがわかっている人なのだろう。どの曲にも一聴してわかる共通したものが流れている。
 そんな彼がもっともノっていた時期に製作したのが本作ということで、そうとうに個性的なかっこいいアルバムに仕上がっている。当時最新鋭のサンプリング機器、シンクラヴィアを早々に使用したエレクトロなサウンドは斬新でポップで、いまだに刺激的だ。
 そしてとにかく本作、構成がおもしろい。モデルであるグレイス・ジョーンズに男性インタビュアーがインタビューする合間に、楽曲がながれるという形式をとっており、のちのピチカート・ファイブなんかにも影響をあたえているのではなかろうか。
 そしてその楽曲もまた、実際にレコーディングしたのは一曲のみで、他の楽曲はそのサウンドを解体、再構築して製作されているといった実験的な試みをとっており、そのアイディアも当時としてはかなり斬新だ。
 中でもグレイスのボーカルを細切れにしてつなぎわせた「オペラアタック」という楽曲が秀逸で、かなりブラックジョークのきいたシュールな仕上がり。
 どこまでマジなのかそれともギャグなのかわからないが、まぁ、上にあげたアルバム・ジャケットを見ればわかるとおり、これは全編ジョークなノリでつくったアルバムなのだろう。
 本人もふくめた製作スタッフである大人たちがいい意味で遊んでいる、これは実に楽しいアルバムだ。



「ブラッド・ムーン」 佐野元春

bloodmoon

 昔は好きだったのに今ではすっかり疎遠になってしまったミュージシャンというのがいる。そのうちの一人が私の場合佐野元春だ。
その理由は2001年にでたアルバム「コヨーテ」。
 内容的には詩、楽曲、アレンジ、演奏と全て問題なし、むしろ完璧といっていいくらいの出来なのであるが、いかんせんボーカルが……。聞いていて辛いのだ。もともと喉を酷使する歌い方の人なので、年齢とともその衰えがこのアルバムにおいて如実にあらわになってしまっているのだ。
 しわがれ、言葉が聞き取りづらいそのボーカルには、それなりに熱心なファンであった私の心をくじいてしまうだけのものがあったのである。ほんとに、それ以外はいいアルバムなのに……。ということで以降、すっかり聞かなくなってしまったのだ。

 それがここへきて、そう、きっかけはYouTubedeにてアップされていた過去のラジオ番組を聞いてからだ。
 まぁ、わかる人にはわかるだろうが、相変わらずの個性的なトーク、喋り方、内容がおもしろく、それを契機にいろいろな時期のものを聞いて回ったのだが、あらためて感銘を受けたのは、そのブレのなさ。
 ロックに向かう姿勢、考え方、メッセージ、ファンに対する態度。デビュー時からまったく変わらない姿に感嘆せずにいられなかった。ああ、やはりこの人は尊敬にあたいする人なのかもしれない……。
 というわけで再燃した元春への想いの中、あらためて「コヨーテ」以後のアルバムをSpotifyで聞いてみたのだが……。これ案外悪くない。どころか感動している自分がいた。
 楽曲のクオリティの高さは聞く前からわかっていたことだが、ひとまわりほど下の世代が中心となったコヨーテバンドとともに奏でられた、そのサウンドの若々しくエネルギッシュなことにまずおどろかされる。
 そうした影響もあるのか、しだいに元春のボーカルもまたこれはこれで違う種類のエネルギッシュさがあるというか、あじわいのあるボーカルに聞こえてくる。これはこれでありというか、いいなと感じられてくるから不思議である。
 ともあれコヨーテバンドとともに作られた三枚のアルバムはどれもすっかり気に入ってしまったのだが、特によかったのが2011年に発表された「ブラッド・ムーン」で、当時60歳になるとは思えない、元春の攻撃性、アグレッシブさにまいってしまった。
 とくにはげしい曲の続く後半のながれが圧巻で、日本国家にむけた辛辣な内容の詩が最高である。というわけで繰り返し聞いている。まだしばらくの間は元春を聞く日々が続きそうだ。



「パピヨン」

papiyon
監督 マイケル・ノアー、原作 アンリ・シャリエール、2018年公開

 スティーブ・マックイーン、ダスティ・ホフマンのW主演で1973年に製作された同名映画を2018年にリメイクした今作。その主演はリチャード・ハナムとラミ・マレックの今旬の男優二人。ということで、見てみることに。GYAOで無料だったし。
 ずっと以前に1973年版のほうはテレビで見ており、おもしろかったという記憶があるので、まぁそれなりに期待しつつの鑑賞となった。
 話のほうは金庫破りの才能がある泥棒のリチャード・ハナム演じる主人公が、裏社会のボスから厄介払いのため、あらぬ殺人の嫌疑をかけられ逮捕されるところから始まる。結果有罪になり送られたのは南アメリカの端にあるギアナの監獄。そこで知り合った偽札職人のレミ・マレックとともに脱獄をくわだてるといった展開に。
 映画において脱獄ものは人気ジャンルで傑作はいくつもあるけれど、今作は事実をもとにしたノンフィクションということで。突飛な脱獄方法をとったり、ドラマティックな展開になることもなく、実にストレートというか、脱獄方法も素朴だったり、そしてまた脱獄に成功してもすぐに捕まってしまったりするあたりリアリティがあって、それはそれでよかったと思う。
 その後も二人は懲りずに脱獄を企てては失敗し、最終的に脱出不可能とされる孤島の監獄へ送られることになるのだった。
 観終わって感じたのは、ちゃんと金がかかっているというか、映像がリッチなところと、主演の二人がしだいに絆を深め友情をはぐくんでいく過程や、独房に長期間とじこめられ狂気におちいるシーンなどが印象に残ってよかった。主演の二人が好きな人ならば見応えはあると思うし、実際私も二時間半という長尺ながら飽きることなく観れたのは事実であるので、まぁ満足したといえばいえるのだが、どうにも今一つ印象に残らない映画だったという気もする。
 というのは今作で(おそらく)重要な点であるはずのテーマ。実にアメリカ人好みなネバー・ギブアップの精神というのだろうか、過酷な運命に何度打ちのめされようと立ち上がり、決してあきらめない。といった部分がしっかりと描かれていないように感じたからだ。少なくとも私の心にはひびいてこなかった。
 それにくらべると前作の1973年版ではそこがしっかりと描かれていたし、だからこそ今でも印象に残っているのだろう。という点をふまえると今作のリメイク版はいまひとつ残念な出来だったかなと思うわけである。



「ペット・セマタリー」スティーブン・キング

petsematary

 近年、といってももう三年前になるのか映画としてリメイクされたということもあって、本作を再読してみたので、その感想などをつらつらと(ちなみに2018年版映画は見事なくらいの駄作であった。もちろんおすすめはしない)。

 ともかく読んでてつらい話だ。それにつきる。何しろまだおさない2歳になる子供がトラッックにひかれ死亡、遺体を忌まわしい呪いのかかった地に葬ることでゾンビとしてよみがえらせようといった内容なのだから。
 ともあれキングにとっての恐怖の源泉とも言うべきところはやはり大切なものを失うその瞬間だということがよくわかる(ま、大半の人がそうであろうが)。今ある幸福がほんのちょっとした出来事でこわれてしまう。その恐れこそがキングに本作を書かせたのだろう。
 で話の展開の方はいたって単純なもので、よくも悪くもひねりがなく、予想通りなエピソードが続くが、そこはキング。圧倒的な筆力でもって読むものをぐいぐいとひっぱっていくあたりはさすがである。
 しかしいかんせん描写力がありすぎるせいだろう。我が子をうしなった父親の狂気や悲しみが真に迫り過ぎ、正直読み進むのがつらく、読了まで時間がかかったのは事実である。
 そして読後感じたのは悪の存在。この辺りはやはりアメリカ人、キリスト的宗教観が関係しているのだろうか。この世界の根底にはサタン的な何かが存在していて、常に人々の足元をすくおうとねらっているのだ、といったような強迫観念にも似た何かが感じられる。
 キングの他の小説においては、そのサタン的な何かにあらがい戦って、勝利をおさめることもあるのだが、今作においては主人公はあらかじめ定められた運命のなすがまま、悲劇の連鎖をとめることができないまま破滅していく。といった内容なのでどうしたってハッピーエンドにはなりようがないのだが、後半なぜか最後の最後でB級ホラー的な展開となり、コメディすれすれなドタバタ調になってしまうのだった。
 そういうのもまたキングらしいといえばキングらしいのだが、過去にはじめて読んだ当時はあれっ? と思ったものだった。どうしてこうなるの? みたいな……。
 ということで本作、普通によくできてはいるのだが、私にとっては分岐点。これ以降キングとのシンクロ率は徐々に落ちていくのであった。



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